シニドコロ
こまひこさんの日記の記事でコメントしようとしたのですが、ちょっとおさまりそうに無いのでこちらで。ラオスに来てからの気持ちを加えると、多分センチメンタルになるので、興味薄い人は読み飛ばしてください。
こまひこさんが書いた「近代的最先端治療の受けられない、受けるの難しい場所」に、ラオスはまさに該当します。医療レベルについては日本にいるときには考えられない、信じられないレベルです。例を挙げるときり無いのですが、
- ビエンチャンの最高レベルの国立病院で、CTはあってもそれを読める人がいない。
- そこで、怪我して運ばれたひとが、足を縫合してもらうとそこから膿が出てきて結局タイで再治療
- レントゲンとか、機械が故障してもそれを修理する技術はもちろん予算も無い
- 看護士の教育レベルで聞いた話の一例で、地方病院の看護士が血圧を測ることができても血圧が何を意味しているのか分からない
- したがって、日本人含めて外国人が怪我や病気になった場合、タイに輸送する以外の選択肢がない
といった状況です。もちろん、その状況を改善するためにいろいろな援助機関、NGOsが支援を展開しているわけですが、道のりはまだ遠い。
で、言いたいのは、ここで死ぬという選択は、間違いなく自分の寿命と引き換えになる、という点です。自分が倒れたときに、まともな医療は受けられない、受けるために2時間車で搬送しないと近代医療にありつけない、というのはとても不安ですし、助かるはずのケースでも命を落とすことが出てくる。自分はそれがいやなわけです。
もう死ぬことが明らかになった場合にくるとしても、(それを実行する体力と財力が残っているかはさておき)、ラオス人や在留邦人に迷惑をかけてまでそれを実行する気にはたぶんならないんだと思います。むしろ、場所よりは知己に囲まれて死ぬシチュエーションを選びたい、というあたりが結論かな。イメージではピンと来るのはすぐに思い浮かばないけど、対極としてゴダールの映画でよく出てくる、前触れなくピストルで撃たれて死ぬというパターン、あれはいや。