「物理的」の誤った使用法

 またまたしょうもないこと書きます。
 たまに仕事でも普段の会話でも、「物理的に不可能」という言い回しに違和感を覚えることがあります。たとえば、「東京からバンコクまで一時間で移動することは物理的に不可能である」といった具合。それは一時間で移動できる旅客機がないからであって、時速4,500kmの旅客機があれば可能なわけです。とはいっても、うろ覚えでコンコルドがジャンボの2倍の速度くらいだったから、コンコルドでも3時間はかかるわけですな。もっとも、軍用のいかした機体とか、ミサイルでもマッハ2くらいがせいぜいなので実質は、超音速になると摩擦に耐える材料やら難しい面はあるのでしょうな。とはいっても、それは工学的ないしはコスト的に難しい話であって、物理的に不可能ということを反証することになっていないですよな。

 もうひとつ、昨日飛行機の中で読んでた雑誌で、ビジネスものだけどこんな内容。

工場の生産現場では、工員の歩行、振り向き動作のひとつひとつの動作を徹底的に合理化してコスト削減を行っている。一方、事務仕事やクリエイティブとされている仕事でも、生産性を挙げるために業務を冷静に分析することは有用。それは、「物理的に振り向くこと」ではなくとも、心理的に過去の記憶にとらわれている面があるのではないか。

 ここでいう「物理的に振り向く」って、首をひねって後ろを振り返ることをいうのだろうけど、なんかしっくりこないわけです。だって振り向く動作は後ろにあるものを見るためにやっているわけで、なんか機械的に首が回転することを指しているようで。しかも、振り返る動作は身体の骨格と筋肉と神経を連動させて行うもので、それは物理的というより身体的なものなのでは?

 なんて、ぐたぐたまた書きました。